バカの壁その四

⚪今日大勢の観光客が訪れる万里の長城は秦の始皇帝が作らせたものではなく、多くは明の時代に作られたものらしい。そしてその目的は勿論外敵の侵入を防ぐことにあった筈だが、その規模は目的を遥かに越えているように見える。長城は急峻な山の稜線に沿って延々と続いている。
始皇帝の時代の長城も一部は残っているらしいが、明代のものと比べればささやかなものと言えそうだ。その秦は始皇帝が中国を統一したものの、始皇帝の死後間もなく滅亡し、漢がそれにとって代わるが、長城建設のために人民を酷使した事が原因とは言えないのではないかと思う。
⚪ところが明は何代にも亘って壮大な長城を建設し続けた。重機など無い時代にあんなものを作ったのだから人民は疲弊する筈だ。そしてついに反乱が起こり、その機に乗じて辺境の地から満州族が押し寄せて来たので明の司令官は城門を開けた。
⚪皮肉な話である。外敵の侵入を防ぐために作った筈の長城が外敵を招き入れる結果を招いたのである。その満州族が打ち立てたのが清王朝だが、元王朝も異民族の蒙古族が打ち立てた王朝である。ここでも長城は役に立ってくれなかったようだ。