元号についてその五

⚪古くからの習わしには愛着があるものである。だからそれを守りたい人の気持ちは理解できる。だが元号には重大な欠点がある。近現代に関してはさほど問題はないが、それでも年齢早見表が要ったりする。しかし歴史上の出来事だといつ頃の事かが分かりづらい。
⚪歴史上の出来事を言い表すのに元号を用いることが多い。安政の大獄とか応仁の乱などはそうだが、いつ頃のことかがピンと来ない。それで学校などでは西暦で覚えさせるが、誰もそれを怪しまない。にも拘らず多くの人が元号固執しているのだから不思議である。
⚪愛着と言えば、度量衡にもそれが言える。ある時期まで日本には三種類の度量衡が混在していた。尺貫法、ヤード・ポンド法メートル法である。これらがメートル法に統一されたのはもう大分昔のことである。一部からは多少の抵抗はあった。和裁や日本建築では支障があったからである。だがメートル法は特定の民族に属するものではない。世界共通の単位に相応しい。アメリカはヤード・ポンド法固執しているが迷惑だと思う。
⚪西暦はキリスト生誕から数えるが、もはやそれを意識している人は少ないと思う。国際宇宙ステーションで何種類もの暦や度量衡が混在しているなど考えられない。