記憶

⚪「記憶の限りではお会いしたことはない。」と不思議なことを言っている人がいる。柳瀬唯夫元総理秘書官である。「記憶の限りでは」とあやふやな事を言いながら、「お会いしたことはない。」と断定的である。人間誰しも忘れるということはある。だがそれなら「お会いした覚えはない。」と言うべきではないかと思う。
⚪ところがその「会っていない」筈の愛媛県今治市の職員の側にはきちんと文書が残っている。当然である。県の職員も市の職員も東京まで出張で来たのだから報告書と復命書を上げなければならない。こうなれば常識的には「会っている」が正解である。
⚪にもかかわらず立憲民主党の枝野代表までが「一体どっちが本当なんだ。」みたいな事を言っているのだから国会では常識は通らないのかなと思えてくる。
⚪だがもっと分からない事がある。総理秘書官というのは全てを記憶に頼って仕事をしているのかということである。まさかそんな事はあるまい。手帳は必須なんじゃないだろうか。それも分厚いやつがである。だから常識的に考えれば柳瀬秘書官も実は分厚い手帳を持っていて、総理のスケジュールも自身のスケジュールもびっしり書き込んであって、該当する日付の欄には愛媛県今治市の職員との面会の事も書き込んであって、会った事実は確認できる筈なのだ。そこに誰も言及しないのが不思議だ。