タヌキ親父

徳川家康は「タヌキ親父」の異名を奉られている。色々あるだろうが、何しろ「織田が撞き羽柴が捏ねた天下餅、座して食らうは徳川家康」などと囃されるように、巧妙に豊臣家から天下を奪った家康に「タヌキ親父」は妥当な渾名だとは言える。

○とは言え、領民は概して領主の悪口は言わない。「忠臣蔵」の仇役吉良上野介もその領地では「名君」だし、明智光秀だって福知山や亀岡ではやはり「名君」なのである。多分三河では家康のことを「タヌキ親父」と言う人はいないのだろう。

○ところが先日、「タヌキ親父」は江戸幕府を倒した薩長政府が江戸時代を貶めるために「神君家康公」を「タヌキ親父」にしてしまったのだとある歴史家が言っていた。

○だが大阪人又は関西人には「タヌキ親父」は大いに納得のいくところだ。家康は豊臣家に対して弱体化を図ったと言われるがその一つに大仏造立がある。その大仏の「正面」という地名が今も残っている。また「方広寺の梵鐘の銘文」即ち「国家安康」が家康を「分断」していると難癖を着けた。大阪では今も秀吉は「太閤さん」と呼ばれる。家康が「タヌキ親父」と呼ばれているかは知らないが。