本能寺の変その二

本能寺の変については戦国時代最大のミステリーと言われ、その動機については諸説あるが、もし明智光秀織田信長に取って代わって天下を取っていたらあれこれ論じられるような事は無かった筈である。
⚪結果から論じられるのが世の常である。勝った者は讃えられ、負けた者は貶められる。光秀も逆臣と罵られ、三日天下と揶揄される有り様である。しかし豊臣秀吉徳川家康だってあれこれ策を弄して天下を取ったズルイ男だが、悪く言われる事は少ない。
本能寺の変については光秀自身が細川藤孝に宛てた書状の中でもその理由を述べているそうだが、その言い分なんぞは世間は一顧だにせず、謎だ、謎だと論じ合っているのである。
⚪歴史上の人物の評価は後世の価値観に影響を受ける。足利尊氏はかつては「逆賊」だった。光秀も「忠臣」が讃えられた江戸時代の価値観で「逆臣」とされてしまったのだろう。