同性婚その二

○結婚とは人間社会を存続させるための制度であって、男女の情愛を完成させるための制度ではない。そこを勘違いした人々が同性愛も認められるべきなんだから、同性婚も認められるべきだと言い出し、いまやそれが「正論」になりつつある。

○結婚についてキリスト教は厳格だった。まず、一夫一婦でなければならない、離婚は認められない、避妊はダメ、中絶もダメ、性行為は子作りが目的なのであって快楽が目的なのではない、等々。

○かつて結婚は当人同士で決めるものではなく、支配層では政略結婚が普通だった。子供のころから親同士で決める許嫁というのもあった。情愛は生まれることもあり、生まれないこともあった。支配層では世継ぎが目的で正妻以外に多くの「側室」を置くことが多かった。

○近代では「側室」はなくなったが、富裕層では「妾(めかけ)」を持つ男性が多かった。結婚は「家」を維持するため、情愛は「妾」の二本立てなのである。だが近代ではその「家」が厭われるようになった。憎む人さえいる。にも拘らず「家」を維持するための制度が情愛の完成形と思われているのである。可笑しなものである。